日本には10万社を越える神社があると言われますが、これほど多くの神社がなぜあるのでしょうか。
自然界にある神様の依り代
神社がどのように誕生したのか。それは日本で文字が使われる以前のことでよくわかっていません。ただ日本の神社、神道は自然崇拝(アニミズム)をベースにしていることは間違いありません。神様は目に見えない存在で、山や滝、樹木、巨石などの依り代に依り憑くと考えられました。古い神社では磐座と呼ばれる神様が依り憑く石があります。
もともとは自然界(人が住む人界とは異なる地=神界)にあるそのような依り代の周囲に簡易な祭祀場を設けて祭事を行い、祭事後には設備を持ち帰りました。古くはそのように設けた神域のことを神籬と呼びました。現在でも神様を迎える神籬として、祭事で使われる榊や正月に年神様を迎える門松などがあります。
仮設の祭祀場から常設の神社へ
自然崇拝と同時に神道の大切な要素が祖先崇拝です。人々の生活基盤が安定すると、有力者は自らの居館に氏神を祀るようになりました。それまで神様を祀る場所(自然界、屋外)と人が生活する場所(人里、屋内)は明確に分けられていましたが、神様と人間の空間が合わさったのです。これを同床共殿と言います。さらに神界ではない人里の屋外で巨大な古墳が築造され、個人を埋葬する古墳祭祀が行われるようになりました。
古墳の築造が終わりを迎える7世紀初め、伊勢神宮の式年遷宮が始まります。古墳ではなく社殿を建立して神様を祀るようになったのです。神界、屋外の臨時祭祀場→人界、屋内の同床共殿→人界、屋外の古墳祭祀→常設の社殿を持つ神社と変化して、現在の神社の形になったのです。
勧請によって全国に神社が創建
その後、氏族が各地へと広がる中で、新天地で自らの氏神を祀るようになります。人口が増え、新たな地へと人々が入植すると神様も分霊され神社が創られるようになりました。さらに武士の世の中になると武将が、経済が発展すると商人が、邸内にプライベートな神社を勧請するようになります。
例えば、全国で最も多い稲荷神社は稲作や商売の神様、八幡神社は武士の守護神として全国に勧請されました。日本橋の水天宮はもともと久留米藩の江戸屋敷内にあったプライベートな神社でした。また今日でも大企業ではビルの屋上や敷地内に神社を持っています。
神社に祀られる神様は神話に登場する神々だけではありません。人は神様の子孫(分霊)であり、強い影響力を持った人物は神様として祀られるようになりました。歴代の天皇や戦国時代の武将、近代では軍人や英霊などが挙げられます。
マイナスをプラスに転じる御霊信仰
最後に少し怖い理由を一つ。神社は不幸な死を迎えた人の霊魂を鎮め、祟りを防ぐために創建される場合があります。
最も有名なものが天満宮、天神社です。謀略によって失脚した菅原道真は北九州の大宰府へと左遷され、名誉を回復することなく亡くなります。その後、都では数々の不幸や天変地異が頻発し、これは菅原道真の祟りによるものだと考えられました。そこで太宰府天満宮、北野天満宮などが創建され、神霊に位階を授けて慰霊したのです。
ではなぜこのような「怖い存在」である祟り神が信仰されているかというと、祟りを起こすほどの強い力を持った人物、神はまた、強い恵みの力も持っていると考えられたからです。災厄をもたらす荒魂を鎮め、恵みをもたらす和魂となって守護していただく。このような信仰を御霊信仰と言います。
神社創建の理由はさまざまですが、全国に創建された神社の数は、明治時代初期で20万社とも言われます。この当時の日本の人口は約3500万人だったので、200人に対して1社の神社があったことになります。以下に神社が日本人の暮らしに密着していたかがわかるでしょう。
その後、明治時代に国策によって神社の統廃合が進められることになり、神社は大幅に減少しました。しかし現在でも神社の数は10万を超えるといわれ、コンビニエンスストアを上回る数の神社が全国にあります。