地形を見れば神社がわかる

津波をまぬがれた東北の神社

寺院は比較的場所を移すのに対して、神社はほとんどの場合、遷座することはありません。寺院は御本尊を主体とした修行の場、祈りの場であり、御本尊があるところがいわば聖域となるので、それほど場所にこだわりがないのです。一方、神社にとって場所は大切な要素です。

神社はその地域を守護する「鎮守」としての役割があり、祭りや行事などで人々が集うサロンであり、その地域の伝統を継承し、後世へと伝えるタイムカプセル的な存在です。そのため、基本的に強固な地盤の高台にあります。東日本大震災では、津波の浸水線上に多くの神社が残っていました。

海洋コンサルタントの熊谷航氏が調査したところ、福島県沿岸部の84社のうち8割強の神社が、津波が到達した地点ギリギリに建っていることがわかりました。さらに被災した神社は比較的近年に建てられた神社であることがわかりました。同様に伊豆大島の三原山にある三原神社は、溶岩が社殿数メートルの地点で向きを変えて被災を免れています。

このように災害との分岐点に神社があるのは偶然ではありません。豊かな風土を持つ日本は、一方で自然災害の多発地帯でもあります。神社創建後に何世代にもわたり幾度となく被災し、より安全な地に神社を遷していったのです。

東北地方沿岸部でも貞観11年(869)に貞観地震が起き、東日本大震災と同規模の津波が発生しました。必然的に津波の神水域に入っていた神社は被災したはずで、その後安全な地に遷されました。このような遷座は近年になっても行われています。熊野本宮大社は明治22年(1889)の洪水で流され、高台の現在地へと遷されています。

神界と人界の境界に建つ

ではなぜ完全に安全な地ではなく、被災ギリギリの地に神社があるのでしょうか。津波の浸水線に残った多くの神社を見て、熊谷氏は大きな感動を覚え「神様がいるのではないか」と感じたそうです。昔の人々も災害から不思議と免れた地に対して神威を感じたことでしょう。

日本の神様は恵みだけを与えるのではなく、時に荒ぶる力を発揮して、人々に災厄ももたらします。また神の世界と人間の世界を神々が縦横無尽に行き来する様子が神話に描かれています。安全な地と久居の地の境界に神社があるのは、まさにこのような日本の神様の二面性を象徴する地だからと言えるでしょう。

また土地には限りがあるためすべての人が安全な地で生活できるわけではありません。神社はそのような人々に神助を与える防災拠点でもあります。福島県相馬市の津神社周辺には、「津波がこの地まで来ることがあり、その場合神社に逃げれば助かる」という言い伝えが残っており、実際に神社に避難して助かった人が多くいます。「困ったときの神頼み」ではありませんが、神社はまさに人々を守る最後の拠り所となっているのです。