「和」のこころ 優劣のない八百万の神々

上下関係がない日本の神様

東日本大震災では、被災地において大規模な暴動や略奪が起きず、被災者たちの秩序を保った行動は世界から絶賛されました。このような集団のルールを遵守する「和」のこころは日本人が古くから持っていたもので、日本の神々の世界観に見ることができます。

日本の神様は「八百万の神」と形容されます。八百万とは、800万の神様ではなく、無数の神様という意味です。日本の神様は、記紀神話に登場する天上世界の神々とその子孫を指す天津神や地上世界の神々である国津神、海や山、巨石などの自然物、中国やインドで信仰されていた神々、天皇や武将、軍人などの偉人、さらには長年使われた生活用品に至るまで、それこそ無数に存在します。

では、例えば石の神様より人間の姿をした神様の方が上位の神様か、というとそうではありません。日本の神々の最高神は天照大神であり、神話には天照大神とそのほかの神々との主従関係が描かれていますが、基本的に天照大神以外の八百万の神様に上下関係はありません。また、上社、下社というように2つの社に別の神様を祀られている場合がありますが、別に上社の神様が上位の存在というわけではないのです。

日本人は、世界三大美人や日本三大温泉といった、いわゆる「三大もの」が好きですが、これは各事物の代表的な3つを指しているだけで、3つに優劣はありません。神社にも熊野三山や出羽三山などの3社がありますが、やはりこれら3社にも優劣はないのです。

お互いに助け合う「和」のこころ

古代中国で生まれた儒教的思想が日本に導入される7世紀以前までは、神社において上下関係は明確に意識されませんでした。やがて律令制が整備されると、神社にも「大社、中社、小社」といった格付けが行われ、明治時代にも社格が設定されましたが、これは国や地方の行政機関によって祭祀を行う神社の数を絞り、優先順位を設けるという便宜上の措置と言えます。現在では、社格制度は廃止され、伊勢神宮以外の神社に格式の優劣はありません。

全国には稲荷神社や八幡神社など、同じ神様を祀る神社が多くあります。これはA社の神様の神霊を分霊してB社に祀ったもので、このようなことを勧請と呼びます。しかし、A社とB社に、寺院のような本山、末寺といった位置付けはありません。A社とB社に上下関係はなく、ご神徳も変わらないのです。

日本には歴史ある数多くの老舗がありますが、これは老舗の営業努力によるものであると同時に、ほかの競合店を倒すまで徹底的に競争するのではなく、時に同業者と相互扶助を行いながら存続してきた面があるからです。

このような横並びの思想は世界的にはあまり見られません。これは個人的な欲求を重視するよりも集団の秩序と調和を重んじる「和」のこころならではの考え方です。

八百万の神々は、それぞれに能力や特徴が異なります。有名な天岩戸神話では、天照大神を岩戸から出すために、多くの神々がそれぞれの能力を発揮します。

神話にも描かれた八百万の神々の相互扶助の世界観は、日本人が古くから持つ「和」のこころを象徴していると言えるでしょう。