働くことは美徳 日本の神様は仕事熱心

日本と欧米の労働観の違い

近年、仕事とプライベートの両立を目指すワークライフバランスが叫ばれるようになりました。しかし、日本では現在でも仕事、職業は人生の中心、生き甲斐とする考え方があり、働くことは尊いこととされています。日本人の長時間労働はしばしば欧米諸国から問題視されますが、この根底には、キリスト教と神道の仕事に対する考え方の違いがあります。

ユダヤ教とキリスト教の聖典である「旧約聖書」の創世記よると、最初の人間アダムと妻イヴは禁断の実を食べたため、絶対神から楽園を追放されます。そのため、大地を耕して生きなければならなくなり、神が科した罰として労働が生まれました。この罰は、アダムとイヴの子孫である人間にも科されたのです。

このことは労働をあらわす言葉の語源を見るとよくわかります。英語の「labor」は苦役、苦痛、フランス語の「travail」は拷問の道具、ドイツ語の「arbeit」は奴隷、家来といった意味の言葉を語源にしています。働くことは生き甲斐ではなく、苦しい罰でしかないのです。

「旧約聖書」では絶対神である神自身ですら、世界を6日で創造したのちに7日目に休息しています。欧米において働くことはあくまで苦痛であり、否定的な意味合いで捉えられるのです。

働くことは神事に通じる

日本では「働く」とは「人」偏に「動」と書きます。この漢字は鎌倉時代に作られた日本オリジナルの国字です。働くことは生きている人間の当然の行為と認識されていたのです。記紀神話で八百万の神々は実によく働き、休むシーンはほとんどありません。天岩戸神話では、神々が得意な仕事を通じて、天照大神を岩戸から出すことに成功します。神々が力を発揮し恵みをもたらす神聖な行為として、働くことが描かれているのです。

また稲は地上世界に降臨する瓊瓊杵尊が天照大神から授けられたもので、稲を育てることは神様から与えられた恵みなのです。天照大神自身も天上世界において田を持っており、また機織りの女官を監視するなど、管理職として働いています。

このように仕事を神聖視する考え方は、伝統技術の中に残っています。日本刀の鍛冶職人などは現在でも古式に則って禊ぎを行ってから、仕事にとりかかります。日本人にとって仕事は「神事」的側面を持っているのです。一般の会社のオフィスに神棚があるのは珍しいことではありません。一方、欧米では休日である日曜日に教会を訪れます。欧米ではオフィスと教会は隔絶された存在です。日本人にとって働くことは、神様も行う当然の行為であり、恵みがもたらされる神事なのです。

日本と欧米の労働観の違い

日本欧米
神様から与えられた恵み労働の誕生神様から科せられた罰
神聖な場所職場苦役の場所
平日と区別なし休日罰から免れる聖なる日